日本登山医学会代表理事より ご挨拶

増山 茂

東京医科大学病院渡航者医療センター

増山茂 2015年5月の総会において、一般社団法人日本登山医学会の代表理事を仰せつかった増山茂です。
 就任のご挨拶を兼ねて、日本登山医学会とは何かをお話し致します。

 日本登山医学会は、1981年に創立された、日本を代表する唯一の登山医学に関する専門家の団体です。
 英語では "Japanese Society of Mountain Medicine" と称しています。
 "Mountain Medicine" というのは、世界的にもまだ若い言葉です。 この言葉の前に International をつければ「世界登山医学会」、Asian をつければ「アジア登山医学会」、 British をつければ「英国登山医学会」と、今現存する名前になるのですが、"Society of Mountain Medicine" を名乗ったのは実は日本が世界で初めてなのでした。

 これは、創世時の代表理事、中島道郎の慧眼でした。
 1978年ライホルト・メスナーの酸素補給なしのエベレスト登山が低酸素に関する医学的・生理学的常識を揺るがせた直後、1982年JB.ウエストらの米国エベレスト医学実験隊がエベレスト頂上で呼気ガスを採取し、PaO2が24mmHg程度であるという衝撃的結果を報告する直前、登山医学がカオスの時代に、中島道郎は次の時代~低酸素や高所に関わる営為が神話から科学に転化する時代~の到来を思い描いていたのでした。

 科学の対象としては、急性高山病メカニズムの解明・高所での運動やトレーニングの問題などが中心的課題となりました。この領域で、日本の多くの研究者は世界に向けて発信していますが、なかでも特筆すべきは高所における低酸素による障害(急性高所障害)の致命的な形となる「高地肺水腫」に係る研究です。中島道郎の次を襲う代表理事となる小林俊夫は、「高地肺水腫」症例を日本で初めて臨床的に報告したのち、その生理学的医学的背景の解明に挑み、最近では「高地肺水腫」に関係する小林らの研究チームによるゲノム解析は世界から高く評価されています。

 高地の低酸素は、私たち平地に住むものに影響を与えるだけではありません。現在地球上には標高2500mを越える地域に数千万人以上のヒトが住むと見積もられています。この中には長期的な低酸素状態に対する適応不全の方(慢性高山病)が多く発見されています。平地人の短期的生理学的高所順応問題だけではなく、高所居住民の健康問題も "Mountain Medicine" の視野に入って来るべきでしょう。 人類のゲノムレベルの選択と進化をも見通す高く広い視座がないと、この問題には取り組めないでしょう。小林俊夫の後を継いだ代表理事松林公蔵はこの問題の専門家でもあり、チベット周辺地域での調査で大きな成果を上げ世界的に評価されました。

 日本登山医学会は、発足当初は中島や小林や松林などの研究者を中心とする小さな集まりでしたが、平成17年5月28日には日本登山医学会(理事長:小林俊夫)と発展し、2013年5月には一般社団法人日本登山医学会(代表理事:松林公蔵)として新たな再出発をいたしました。今では入会順につける会員番号が1,400を越える会員により支えられています。会員には、医師・歯科医師・薬剤師・看護師・理学療法士などの医療関係者、運動生理学者などの研究者ばかりではなく、救命救急士や、登山や高所での安全や健康にかかわるさまざまな職種の山岳関係者(山岳団体関係者・救助関係者・山小屋関係者・山岳ガイド・旅行業関係者など)が参加しています。ヒマラヤをめざす第一線の登山家、一般登山者、旅行愛好家などにも参加いただいております。

 その守備範囲は、研究室の外に大きく広がりました。野外での緊急外傷時に対する適切な対応・寒冷地での低体温症や凍傷・高所で起こる低酸素症・運動生理学的な知見に基づいた適切な登山処方など、医学的知識の発展・向上・普及を通じて登山活動の安全に貢献しています。
 国内のハイキング、登山やクライミング、山スキーやアイスクライミング、高地を訪れる海外旅行、ヒマラヤトレッキングや本格的高所登山、これらが私たちが必要とされるフィールドです。

 日本の夏山シーズンに開かれる北アルプスや南アルプスにある山小屋診療所は、ほとんどが日本登山医学会の関係者が運営しています。現在、この山岳診療所のネットワーク化に向けて、山岳地域の各自治体と協力しながら、取り組んでいます。

 2006年から、海外の高所地域に出かけるトレッカーなどを対象に、海外トレッキング旅行会社とともに、会員医師による医療相談ネットワーク「登山者検診ネットワーク」を実施しています。

 2010年から、公益社団法人日本山岳協会や国立登山研修所の協力を得て、国際山岳連盟医療部会・国際山岳救助協議会・国際登山医学会が認定する「国際認定山岳医制度講習会」を日本で実施しています(会員である医師看護師が参加可能です)。多くの認定山岳医が生まれつつあります。

 2013年から、公益社団法人日本山岳協会や国立登山研修所の後援を得て、山岳関係者であればだれでも参加可能な非医療者向けの山岳ファーストエイド講習会を始めています。ここでの山岳ファーストエイド基準がいずれ世界標準になるであろうと期待されています。


 以上のように、医科学を担う我々の観点から、登山事故を未然に防ぐ理論と実践に関する知識を蓄積し、偶発的に発生した事故に対しても的確に対処すべき方策を広く社会に還元・提供して行くことは、数多くの山岳関係者に支えられて発展してきた本学会が果たすべき、最重要な責務と考えております。

増山茂 本会のこれまでの発展は、本学会の趣旨に賛同いただきました個人や団体そして企業の皆様のご理解とご協力なくしてはありえませんでした。あらためて、ここに深く感謝申し上げる次第でございます。
 またこれからも、これまで以上に皆様のご理解と御協力を賜りますよう心からお願い申し上げます。

 2015年6月 一般社団法人日本登山医学会 代表理事 増山 茂