急性高山病
増山茂
急性高山病とは?
高度を稼ぐと酸素が少なくなります。下の図で青い線は大気中の酸素分圧をあらわしています。平地で155mmHg くらいだとすると、3 分の2 の100mmHg になるのは標高3000m くらい、半分の70mmHg 台後半が5000m くらい、エベレストの頂上8848m では3 分の1 くらいか。厳しいけど、まあがんばればなんとかなるかな、と思うでしょう。ところが、話はそれでは済みません。体の中の酸素の減り方は驚くべきもので、上の図で赤線で示したものになります。これはひどい。平地で95mmHg くらいだったものが、3000m を越すと半分以下に、5000m で3 分の1、エベレスト頂上ではマイナスになっています。ただし、これは、まったく馴化(じゅんか)が起こらなかった場合の話ですけどね。きちんと馴化すると、大体平地と比較して、富士山で半分、エベレストBC で1/3、エベレスト頂上で1/4 になっています(下の図)。
酸素は我々ヒトにとっては必須なエネルギー材料です。それがエベレストBC(5200m)で1/3 しかなければ、悪くすればおだぶつ、死なないまでも体に様々な失調がでるのは当たり前のことです。だれでもこんな環境に置かれれば(ヘリコプターで降ろされれば)おかしくなるに決まっています。急に高度をあげた(低酸素状態になった)際にでてくるこの失調を「急性の高山病」と呼んでいます。
低酸素の程度
エベレストのBC で体の中の酸素は1/3 になるといいましたが、これはちゃんと低酸素環境に馴化(じゅんか)した人の話です。うまく低酸素状態に馴化できないともっとひどいはずです。この低酸素レベルはパルスオキシメータという小さな器械で測定します。パルスオキシメータの説明は他の箇所で行っていますから参照してください。
標高とSpO2
標高が上がれば空気が薄くなり、酸素も減ります。それに合わせて酸素と結びついたヘモグロビンも減ります。したがって高度を上げていくと、SpO2 は低下しますが、その程度は標高の上げ方によって違いますし、個人差(もともとの呼吸機能や馴化の違い)もあります。実際はどの程度でしょうか。表1、図1に、エベレストのクンブー谷のトレッキングを例にして示します(参考に日本の剣沢でのデータも示す)。
表1以下に示す図表は、日本の代表的なトレッキング会社各社と高所医学の専門家などで構成されている「高所低酸素血症研究会」がその各社主催ツアーに参加された方々のご協力を得て作成したものです。酸素を吸ったり途中で動けなかったりした方のデータは除いてあります。つまり普通に動けた方々だけが対象です。
表1 エベレスト街道での酸素飽和度SpO2(対象者414 名, 17-71 歳)
下界ではSpO2 が90%を割ると酸素吸入も考える、80%を下回ると危ない、と考えるのが普通ですから、エベレスト街道のトレッカーはおどろくべき低酸素状態で行動していることがわかります。
図1表1、図1は酸素を吸うことなく、目的地まで行けた人たちのデータのみを集計しているので、各標高において平均値より低い人でも、実際は問題なく登れていたはずです。平均値よりどれくらい低い数値までよしとするかが問題ですが、「標準偏差の2 倍まで」を提案します。各高度で平均値から標準偏差の2倍を下回っている方は馴化が追いついていないと考えられます。危険値として示した値、図1で緑の線で示したのがそれです。これを下回るようだと標準的とはいえません。もちろんSpO2 でわかるのは、どれだけ体に酸素が取り入れられているかであって、体調のすべてを代表しているわけではないので、ほかの自他覚症状も合わせて体調を判断しなくてはいけません。
どんな症状が出るか
頭痛が最もよく見る症状なのですが、体中どこでも低酸素状態なのでやられる臓器によりどんな症状でも起こりえます。国際的には以下のようにまとめる約束です。
a.急性高山病----新しい高度に到達した際に起こる症状。頭痛、及び以下の症状のうち少なくとも1つを伴う。消化器症状(食欲不振、嘔気、嘔吐)、倦怠感または虚脱感、めまいまたはもうろう感、睡眠障害。2500m の高度に急激に登高すると25%に上記症状が3個以上現れる。3500m の高度ではほとんどの者が上記を経験しうち10%は重症化するとされる。
b.高地脳浮腫----重症急性高山病の最終段階と考えられる。急性高山病患者に精神状態の変化か運動失調を認める場合。急性高山病症状がない時は両者とも認める場合。
c.高地肺水腫----以下のうち少なくとも2つの症状がある。安静時呼吸困難、咳、虚脱感または運動能力低下、胸部圧迫感または充満感。また以下のうち少なくとも2つの徴候がある。少なくとも一肺野でのラ音または笛声音、中心性チアノーゼ、頻呼吸、頻脈。
急性高山病の重症度評価
図2国際的な約束事は上の通りなのですが、日本で実際に使われている症状兆候がわかりやすく書かれている調査票を例として示しましょう。低酸素状態が諸悪の根源なのですから、体の酸素レベルを的確に知ることが重要です(最近では小型軽量のパルスオキシメータが安価に利用可能になっていますのでトレッキングツアーにこれを携行するのはほぼ常識となっています)。現在日本のトレッキング業界でもっとも広く使われており、上記エベレスト街道での調査時にも使われた調査票です(図2)。高所馴化アンケートと高所馴化チェックシートとからなっています。
好き好んで酸素の乏しいところへでかけるのですから、多少の症状がでるのはやむを得ません。肺水腫や脳浮腫などへ重症化させないように、注意深く自分自身の体を観察してそれを数値化して経過を追ってゆく必要があります。
トレッカーがかかりやすいパターンやその標高
急激に高度を上げすぎないこと、これが基本です。ゆっくりした日程であれば低酸素状態に体の馴化が追いつきます。一般にSpO2 の値が90%を割り込むと体に大きな低酸素ストレスが加わり始めます。これが第一の壁。これをなんとかこなしたあとでも、次に80% を切る際にはかなり危険な低酸素状態に入るといってよいでしょう。図1をみると、それぞれ標高3000m が第一の壁、4600m が第二の壁になりそうです(各人によってこの高度は変わってくるでしょう)。多くのヒトがトレッキング中に迎える高度の壁です。
予防・対策
以上の高度は、エベレスト街道だとナムチェバザールに到着する日そしてツクラの坂を登る日に相当します。この高度を初めて越す際には睡眠・休養を十分とるようにしましょう。食事、特に行動中のまめな糖分と水分の摂取は重要です。お酒を飲みすぎたり、下痢を放置するのは危険。脱水やその逆の浮腫を招きやすい。おいしそうな現地食も行きは我慢しましょう。風邪のようなウイルス感染も危険因子です。頻繁な衣服の着脱によって保温を適切にし発汗をコントロールすることも大切。過激な運動も、一方じっとして動かないのも禁物。他人の目を気にせずのんびり着実に歩きましょう。高山病になりやすい体質は一部のひとにはありそうですが、多くの場合は上記に気をつけることで防いだり症状を軽くすることが可能です。海外トレッキングに出かける直前に富士山に1−2回登ってトレーニングしておくのも有効です。
ギンコ(イチョウの葉エキス)が急性高山病予防に効く、という報告があります。米国のHackett らが積極的に薦めています。イチョウの葉に含まれる物質がもつ活性酸素消去作用・血管拡張作用・抗炎症作用が効果をもつのではと言われていますが、きっちりした医学的な証拠はまだ得られていません。少量のアスピリンには「血液を固まりにくくする」効果があります。脳梗塞や心筋梗塞を患った方は長期にわたってこの少量アスピリンを服用するのが一般的です。不整脈があって血栓ができやすいと考えられている方には予防的にのんでいただくこともあります。さて、登山中はどうでしょう。脱水は高所での4大障害のひとつでした。上記の疾患のある方、下肢に静脈瘤が出やすい方、脱水が予想される方などは考慮の余地があるかもしれません。
高齢者は要注意。
図3図3は標高3500m におけるSpO2 の年齢分布です。高齢者に低下する傾向があるのが読み取れます。50 歳以上と以下(黒と青)を比較すると違いがはっきりします。またこの高度での危険値を下回るのはほとんどが50 歳以上であることもおわかりいただけるでしょう。この差は他の高度でもあきらかです。50 歳以上になれば若者より2-3%低くても当然であると考えましょう。これ以上の高度を目指す高齢者隊は緊急用の酸素ボンベを忘れずに。低酸素はヒトの弱いところを狙います。きちんと事前に健康のチェックを行いましょう。慢性の疾患があって服薬をしている場合など主治医に緊急時の対策を確認しておかねばなりません。トレッキングの組織者やリーダーにもその情報を前もって知らせておきましょう。
急性の高山病かな、と思ったら
注意深く自分自身を観察します。チェックシートを利用しましょう。軽い頭痛程度なら、アセトアミノフェンやブルフェンなどの鎮痛剤を服用する程度で済みます。注意して行動を継続します。頭痛に他の症状が加わりかつ酸素飽和度SpO2 が各高度での平均値をかなり下回るようでしたらダイアモックス(250mg)を1日朝夕1錠づつ(体の小さい日本人は半錠づつでもよい)服用すると効果的です。ダイアモックスは脳の呼吸中枢を刺激する作用があり、低酸素で「眠ってしまった」脳を刺激し酸素の取り込みを増やします。症状が消えSpO2 が改善しても1-2 日間は継続して服薬します。ゆっくりした日程の場合でも、以前のトレッキングで高山病に悩まされたことのある方、やむを得ずゆっくりした日程が取れない場合(レスキュー活動の場合や飛行機やヘリで一気に4000m 近くに到達する場合など)は、まだ低い高度にいる出発当日の朝からダイアモックスを予防的に服薬しても構いません。脱水を防ぐために適切な摂水は大切です。血栓予防の少量のアスピリン服用も考えます。症状があるうちは新しく高度を稼ぐことは禁物、休養を兼ねて停滞です。3500m を越え、症状がかなりきつくSpO2 が危険値を割った場合、とくにそれが高齢者の場合は酸素の使用を躊躇してはいけません。馴化を遅らせるから、などと使用を控えるむきもありますが、エベレストの頂上を目指すわけではないのです。トレッキングを楽しむためにここに来ているのです。苦痛を我慢するなど馬鹿げています。高齢者の場合はとくに早め早めの酸素吸入が効果的です。酸素吸入中のSpO2 が90%を超える程度の流量を10 分間吸入することから始めます。低酸素によって脳に貯まってしまった有害な代謝物を排除できれば、これだけで症状が一気に改善されることがあります。酸素吸入を止めるとすぐ元の木阿弥になってしまう場合は、吸入時間を少しづつ伸ばしていきます。夜間睡眠時の少量の酸素吸入はとても効果的です。もちろん酸素ボンベの数と相談ですが。よく携帯式のスプレー酸素缶をお持ちの方を見かけますが、せいぜい数分しかもちません。費用(重量)対効果比を考えるともったいない限りです。停滞しても改善が見られない場合一つキャンプ地を戻すことも考えます。もちろん急性高山病患者を一人だけで下降させてはいけません。
急性の高山病が悪化して脳浮腫や肺水腫に進んでしまった場合
早急に下に降ろさなければなりません。下降手段(ヘリコプターなど)を待っている間に手をこまねいていてはいけません。大流量酸素を吸入させ、ガモフバッグなどの携帯型加圧バッグを使用します。脳浮腫にはデキサメサゾン、肺水腫にはニフェジピンが有効です。両者とも劇薬ですので医療関係者が同行するか無線や衛星携帯電話などで連絡できる場合のみに限ります。最近では、バイアグラが高地肺水腫に有効であることが分かってきました。バイアグラは平地でも肺高血圧症の患者さんに投与され肺高血圧改善にとてもよい成績を残しています。これから行われるであろうきちんとした研究報告が待たれます。
トレッキングオーガナイザーを吟味する
急性高山病の対策には個人で対処できる部分もありますが、トレッキングツアーの組
者やツアーリーダーの責任となる部分も大きいものです。日程の決定・重症度の判断・進退の決断・パルスオキシメータの準備・医療救援機関との連絡手段の確保・酸素ボンベやガモフバックの携帯・特殊な薬剤の用意などがそれにあたります。信頼できるツアー組織者を選択することはとても大切です。
(2004年6月 日本登山医学会増山茂)
日本登山医学会より「高山病と関連疾患の診療ガイドライン」が発売中です。
書籍詳細は、こちら(http://www.chugaiigaku.jp/item/detail.php?id=2060) をご覧ください。
(2017年6月 日本登山医学会事務局)